非現実に感じるリアリティ、現実に感じるリアリティ
VR、ARの定義の話を起点として、「リアリティとは何か」という話をしばらくしてきました。
前回は、「リアリティ」はどのように生成されるのかということで、「人は、情報の断片を受け取ると、不足分を脳内で補完してリアリティを生成してしまう」ということについて書きました。
「リアリティ」はどのように生成されるのか
https://forum.pc5bai.com/tips/longshot/
なお、日本語の「リアリティ」と英語の「reality」には、以下のようなニュアンスの違いがあるようです。
リアリティ(日本語):
「実在するかのように感じられる状態」を指す。
reality (英語):
「実在性」そのものを指す。
ここで言う「リアリティ」とは、日本語の「リアリティ」を指します。
「文字列で」にせよ、「音声で」にせよ、「映像で」にせよ、人は情報を受け取ると、そこで述べられていない情報まで勝手に脳内で生成してストーリーを作って捉えてしまうものです。
この性質があるからこそ、人は、小説を読んだとき、そこに書かれていないことまでを想起して主人公やそのほかの登場人物の容姿や行動を具体的にイメージすることができます。
昔話を聞かされたとき、そこに語られていないことまでを想起して主人公やそのほかの登場人物の容姿や行動を具体的にイメージすることができます。
映画を見たとき、セットの奥にある風景までを想起して主人公やそのほかの登場人物が活躍する舞台を空間的にイメージすることができます。
これが、前回してきた「非現実に感じるリアリティ」の話でした。
「現実に感じるリアリティ」も、人は、まったく同じ仕組みで生成しています。
文字情報であればどうでしょうか。
人は、新聞やネット記事を読んでニュースを知ります。そのとき、そこで述べられていない情報まで勝手に脳内で生成してストーリーを作って捉えています。
音声情報であればどうでしょうか。
人は、車の運転中など、ラジオを聞いてニュースを知ります。そのとき、そこで語られていない情報まで勝手に脳内で生成してストーリーを作って捉えています。
映像であればどうでしょうか。
人は、テレビやネット放送などを通じてニュースを知ります。そのとき、映像で見えた風景のその先までを勝手に脳内で生成してストーリーを作って捉えています。
これは、今挙げたような伝聞手段を通じて世界を捉えるときだけに限りません。
お腹の空いているお昼どき、はじめて歩く商店街でカレーの匂いを鼻に感じれば、「あ、近くにカレー屋があるぞ」と、匂いの先にカレー屋の店舗を想起します。
「本格スリランカカレー『ダーム』、この先20m右入ってすぐ」と書かれた看板を見れば、「あ、あの角の向こうにカレー屋があるぞ」と、通りを曲がった先にカレー屋の店舗を想起します。
通りの向こうから南アジア訛りの日本語でカレー屋の呼び込みをしている声が聞こえれば、「あ、あの角の向こうにカレー屋があるぞ」と、通りを曲がった先にカレー屋の店舗を想起します。
カレー屋のチラシを受け取れば、「あ、あの角の向こうにカレー屋があるぞ」と、通りを曲がった先にカレー屋の店舗を想起します。
そして、今紹介したような情報はすべて「記号化」されたもの、「要約」されたものであり、現実そのものではありません。
人は、「要約された情報」を手に入れ、「カレー屋」なる、まだ体験していないものを「リアリティを持って」、想起しています。
「言葉によるラベリング」と「記号化」
https://forum.pc5bai.com/tips/longshot/9b392ebe-9461-452b-851b-c3db78781542/
「要約」とはすなわち「ミスリードの起点」
https://forum.pc5bai.com/tips/longshot/14ab0c3b-05a6-4308-9b87-cfc629749f5f/
「非現実」に対してだけでなく、「現実」に対しても、人は、要約から想起してリアリティを得ているのです。
そして、人の体験は、どこまでもこの仕組みによってできています。
その後、あなたは、そのカレー屋に入るかもしれません。
店舗の手前には客席が、奥には厨房が見えました。
あなたは、厨房の奥で店員がカレーを作っている姿を想起します。しかし、そのイメージは、店舗の雰囲気からあなたが想像したものであって、本当のところは分かりません。
「イラッシャイマセ」と、厨房の奥から南アジア訛りの日本語が聞こえました
あなたは、厨房の奥に、外国人店員の姿を想起します。しかし、そのイメージは、声の雰囲気からあなたが想像したものであって、本当のところは分かりません。
そして、注文してしばらく待っていると、店員がカレーセットの盛りつけられた銀色のプレートを載せた盆を持ってこちらにやってきます。
そのこちらに向けて歩く様子から、あなたは、その店員が持っているのは、「自分が注文したカレーだろう」という予断を持ちます。
このときにも、「店員がこちらに向けて歩く様子」という限られた情報から、「自分が注文したカレーが来た」と、ストーリーを想起しています。
その店員が運んでくるプレートからの匂いをかいで、あるいはそのプレートが机に置かれる「ゴトっ」という音を聞いて、あなたは、それが自分が注文した料理だという予断を持ちます。
そのプレートに刻んだキャベツのような形状を見れば、それがキャベツであり、食べたらどんな体験を舌で味わうものなのかということを想起します。
...と、「カレー屋に入店したあなたの体験」という小さな物語を書いてみました。
現実にありそうなことを書いてみましたが、今読んでいただいた物語はただの物語で、非現実です。でも、読んでいるうちに、読者は、僕が書いた以上のことを想起してしまっているかもしれません。
それと同じことが、現実でも起きています。
視覚からにせよ、聴覚からにせよ、体感覚からにせよ、非現実からにせよ、現実からにせよ、人は、一部からより多くを想起し、その想起の世界を体験しているのです。
それは現実そのものなのかというと、厳密には異なります。
人は、現実のごく一部を感覚器官で感じ、そして、そこから現実を想起し、その想起の世界に巻き込まれています。
あたかも「リアル」を体験しているかのような「リアリティ」を得ています。
冒頭の「リアリティ」の定義に依って書き直すならば、人は、「実在」の片鱗にわずかに触れることをきっかけにストーリーを想起し、「実在するかのように感じられる状態」を感じているのです。
前回は、「リアリティ」はどのように生成されるのかということで、「人は、情報の断片を受け取ると、不足分を脳内で補完してリアリティを生成してしまう」ということについて書きました。
「リアリティ」はどのように生成されるのか
https://forum.pc5bai.com/tips/longshot/
なお、日本語の「リアリティ」と英語の「reality」には、以下のようなニュアンスの違いがあるようです。
リアリティ(日本語):
「実在するかのように感じられる状態」を指す。
reality (英語):
「実在性」そのものを指す。
ここで言う「リアリティ」とは、日本語の「リアリティ」を指します。
「文字列で」にせよ、「音声で」にせよ、「映像で」にせよ、人は情報を受け取ると、そこで述べられていない情報まで勝手に脳内で生成してストーリーを作って捉えてしまうものです。
この性質があるからこそ、人は、小説を読んだとき、そこに書かれていないことまでを想起して主人公やそのほかの登場人物の容姿や行動を具体的にイメージすることができます。
昔話を聞かされたとき、そこに語られていないことまでを想起して主人公やそのほかの登場人物の容姿や行動を具体的にイメージすることができます。
映画を見たとき、セットの奥にある風景までを想起して主人公やそのほかの登場人物が活躍する舞台を空間的にイメージすることができます。
これが、前回してきた「非現実に感じるリアリティ」の話でした。
「現実に感じるリアリティ」も、人は、まったく同じ仕組みで生成しています。
文字情報であればどうでしょうか。
人は、新聞やネット記事を読んでニュースを知ります。そのとき、そこで述べられていない情報まで勝手に脳内で生成してストーリーを作って捉えています。
音声情報であればどうでしょうか。
人は、車の運転中など、ラジオを聞いてニュースを知ります。そのとき、そこで語られていない情報まで勝手に脳内で生成してストーリーを作って捉えています。
映像であればどうでしょうか。
人は、テレビやネット放送などを通じてニュースを知ります。そのとき、映像で見えた風景のその先までを勝手に脳内で生成してストーリーを作って捉えています。
これは、今挙げたような伝聞手段を通じて世界を捉えるときだけに限りません。
お腹の空いているお昼どき、はじめて歩く商店街でカレーの匂いを鼻に感じれば、「あ、近くにカレー屋があるぞ」と、匂いの先にカレー屋の店舗を想起します。
「本格スリランカカレー『ダーム』、この先20m右入ってすぐ」と書かれた看板を見れば、「あ、あの角の向こうにカレー屋があるぞ」と、通りを曲がった先にカレー屋の店舗を想起します。
通りの向こうから南アジア訛りの日本語でカレー屋の呼び込みをしている声が聞こえれば、「あ、あの角の向こうにカレー屋があるぞ」と、通りを曲がった先にカレー屋の店舗を想起します。
カレー屋のチラシを受け取れば、「あ、あの角の向こうにカレー屋があるぞ」と、通りを曲がった先にカレー屋の店舗を想起します。
そして、今紹介したような情報はすべて「記号化」されたもの、「要約」されたものであり、現実そのものではありません。
人は、「要約された情報」を手に入れ、「カレー屋」なる、まだ体験していないものを「リアリティを持って」、想起しています。
「言葉によるラベリング」と「記号化」
https://forum.pc5bai.com/tips/longshot/9b392ebe-9461-452b-851b-c3db78781542/
「要約」とはすなわち「ミスリードの起点」
https://forum.pc5bai.com/tips/longshot/14ab0c3b-05a6-4308-9b87-cfc629749f5f/
「非現実」に対してだけでなく、「現実」に対しても、人は、要約から想起してリアリティを得ているのです。
そして、人の体験は、どこまでもこの仕組みによってできています。
その後、あなたは、そのカレー屋に入るかもしれません。
店舗の手前には客席が、奥には厨房が見えました。
あなたは、厨房の奥で店員がカレーを作っている姿を想起します。しかし、そのイメージは、店舗の雰囲気からあなたが想像したものであって、本当のところは分かりません。
「イラッシャイマセ」と、厨房の奥から南アジア訛りの日本語が聞こえました
あなたは、厨房の奥に、外国人店員の姿を想起します。しかし、そのイメージは、声の雰囲気からあなたが想像したものであって、本当のところは分かりません。
そして、注文してしばらく待っていると、店員がカレーセットの盛りつけられた銀色のプレートを載せた盆を持ってこちらにやってきます。
そのこちらに向けて歩く様子から、あなたは、その店員が持っているのは、「自分が注文したカレーだろう」という予断を持ちます。
このときにも、「店員がこちらに向けて歩く様子」という限られた情報から、「自分が注文したカレーが来た」と、ストーリーを想起しています。
その店員が運んでくるプレートからの匂いをかいで、あるいはそのプレートが机に置かれる「ゴトっ」という音を聞いて、あなたは、それが自分が注文した料理だという予断を持ちます。
そのプレートに刻んだキャベツのような形状を見れば、それがキャベツであり、食べたらどんな体験を舌で味わうものなのかということを想起します。
...と、「カレー屋に入店したあなたの体験」という小さな物語を書いてみました。
現実にありそうなことを書いてみましたが、今読んでいただいた物語はただの物語で、非現実です。でも、読んでいるうちに、読者は、僕が書いた以上のことを想起してしまっているかもしれません。
それと同じことが、現実でも起きています。
視覚からにせよ、聴覚からにせよ、体感覚からにせよ、非現実からにせよ、現実からにせよ、人は、一部からより多くを想起し、その想起の世界を体験しているのです。
それは現実そのものなのかというと、厳密には異なります。
人は、現実のごく一部を感覚器官で感じ、そして、そこから現実を想起し、その想起の世界に巻き込まれています。
あたかも「リアル」を体験しているかのような「リアリティ」を得ています。
冒頭の「リアリティ」の定義に依って書き直すならば、人は、「実在」の片鱗にわずかに触れることをきっかけにストーリーを想起し、「実在するかのように感じられる状態」を感じているのです。
- あなたの周囲を、試しに見渡してみてください。
そのとき、どんな感覚器官に何を感じ、そして、そこからどんな想起がはじまろうとしているかを観察してみてください。
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