「自己実現」と「記号の限界」
前回は、「最悪の失敗談を共有します」ということで、僕自身の人生での失敗の経験を元にして、自己実現の「方法の限界」と「スケーラビリティ」についてお伝えしました。
最悪の失敗談を共有します- 自己実現の「方法の限界」と「スケーラビリティ」
https://forum.pc5bai.com/tips/longshot/89329336-6ad5-4008-be0f-f08b071206ed/
今回は、前回書いたこの体験について、これまでにこのメールマガジンで書いていた内容をベースに再咀嚼してみたいと思います。
どんなやり方にも「キャパシティ」と「スケーラビリティ」があります。
どんなやり方/教義も、一面では正しく、一面では正しくないものです。
「白」と「黒」と「灰色」という話を以前にしました。
記号とはすべて、ある軸において、「灰色」のものを「白」または「黒」と分類するためのラベルです。
現実に存在するすべてのものは灰色ですが、白っぽいものは「白いもの」、黒っぽいものは「黒いもの」とラベリングされます。
これは便宜的につけられたラベルで、「どこからは白」、「どこからは黒」という基準を変えればすぐにつけかえられてしまう程度のものです。
時代によって、文脈によって、「白」とされていたものが、「黒」とされてしまうことなどもあります。
どんなにすばらしい言葉でも、ある文脈からはとても有効な言葉でも、別の文脈からはまったく機能しなくなることがあります。
それは、言葉でも、手段でも、どのようなものであってもです。
「白」と「黒」と「灰色」
https://forum.pc5bai.com/tips/longshot/7927c0eb-fa73-46f8-9df6-9005da3e7ef4/
上記の点を理解しないままで教義を受け入れてしまうと、人は、ミスリードされ、そして大きな失敗に巻き込まれてしまうことがあります。
「要約」とはすなわち「ミスリードの起点」ということも以前に書きました。
「要約」とは、情報やデータの大量性や複雑性を削減し、情報提供者が重要と考える、あるいは強調したいポイントを簡潔に伝えるプロセスです。
「方法論」なるものは、すべて「記号化」されたものです。
僕がかつて過剰に信じてしまった自己啓発的な「プラスアルファの魔法」といった言葉も、「記号化」されたシンボルです。
「記号化」された何かがそこにあるとしたら、それは全体の一部であり、その背景には、記号以上の何かがあるということです。
この点から意識が抜けて、記号そのものに意識が向きすぎたとき、人は過剰に記号を信じ、そして、記号によりミスリードされてしまいます。
「要約」とはすなわち「ミスリードの起点」
https://forum.pc5bai.com/tips/longshot/14ab0c3b-05a6-4308-9b87-cfc629749f5f/
もっとも、言語化され、要約されること自体は悪いことではありません。
その言葉を投げかけられたことにより、人は、その言葉が象徴する何かに気づくことができます。
そして、文脈によっては、即効性のある手段として機能します。
僕にとってのある時期の「プラスアルファの魔法」という言葉がそうでした。
その言葉をどう扱うかは、「その言葉に要約されたものの背景にどれだけの世界を感じ取ることができるか」という、受け手側の理解の準備次第です。
たとえば、「そこに虹がある」と気づいたとき、虹のできる仕組みについての知識があれば、太陽光とその虹との間にある雨粒や雨粒によって起きた光の屈折を想起することができます。
扉に「放射性危険物マーク」を見たとき、放射性物質やその扱い方についての知識があれば、ただ恐れるだけでなく、その扉の向こうにあるであろう物質が何なのか、それはどういう性質ものなのか、どのように保管されているかといったことを想起することができます。
「言葉によるラベリング」と「記号化」
https://forum.pc5bai.com/tips/longshot/9b392ebe-9461-452b-851b-c3db78781542/
いったん「プラスアルファの魔法」という言葉から離れた今となっては、この言葉をより広い視点から観察することができます。
今の自分には、当時の自分よりもより有効にこの言葉と関わり、その機能をより有効に活かすことができます。
要約のために使われた記号を見たとき、要約されてしまった存在の全体像をどこまで奥行き深く気づけるかは、その人の得てきた「地図」、すなわち気づくための情報と、「気づく力」次第です。
僕がこのメールマガジンの中で「地図」、「気づき」、「選択」、「手順」という話をくりかえしているのは、ひとつの事象からより多くのことに気づき、より自由に選択できるようになるならば、より自由に柔軟に世界と関われるようになるからです。
最悪の失敗談を共有します- 自己実現の「方法の限界」と「スケーラビリティ」
https://forum.pc5bai.com/tips/longshot/89329336-6ad5-4008-be0f-f08b071206ed/
今回は、前回書いたこの体験について、これまでにこのメールマガジンで書いていた内容をベースに再咀嚼してみたいと思います。
どんなやり方にも「キャパシティ」と「スケーラビリティ」があります。
どんなやり方/教義も、一面では正しく、一面では正しくないものです。
「白」と「黒」と「灰色」という話を以前にしました。
記号とはすべて、ある軸において、「灰色」のものを「白」または「黒」と分類するためのラベルです。
現実に存在するすべてのものは灰色ですが、白っぽいものは「白いもの」、黒っぽいものは「黒いもの」とラベリングされます。
これは便宜的につけられたラベルで、「どこからは白」、「どこからは黒」という基準を変えればすぐにつけかえられてしまう程度のものです。
時代によって、文脈によって、「白」とされていたものが、「黒」とされてしまうことなどもあります。
どんなにすばらしい言葉でも、ある文脈からはとても有効な言葉でも、別の文脈からはまったく機能しなくなることがあります。
それは、言葉でも、手段でも、どのようなものであってもです。
「白」と「黒」と「灰色」
https://forum.pc5bai.com/tips/longshot/7927c0eb-fa73-46f8-9df6-9005da3e7ef4/
上記の点を理解しないままで教義を受け入れてしまうと、人は、ミスリードされ、そして大きな失敗に巻き込まれてしまうことがあります。
「要約」とはすなわち「ミスリードの起点」ということも以前に書きました。
「要約」とは、情報やデータの大量性や複雑性を削減し、情報提供者が重要と考える、あるいは強調したいポイントを簡潔に伝えるプロセスです。
「方法論」なるものは、すべて「記号化」されたものです。
僕がかつて過剰に信じてしまった自己啓発的な「プラスアルファの魔法」といった言葉も、「記号化」されたシンボルです。
「記号化」された何かがそこにあるとしたら、それは全体の一部であり、その背景には、記号以上の何かがあるということです。
この点から意識が抜けて、記号そのものに意識が向きすぎたとき、人は過剰に記号を信じ、そして、記号によりミスリードされてしまいます。
「要約」とはすなわち「ミスリードの起点」
https://forum.pc5bai.com/tips/longshot/14ab0c3b-05a6-4308-9b87-cfc629749f5f/
もっとも、言語化され、要約されること自体は悪いことではありません。
その言葉を投げかけられたことにより、人は、その言葉が象徴する何かに気づくことができます。
そして、文脈によっては、即効性のある手段として機能します。
僕にとってのある時期の「プラスアルファの魔法」という言葉がそうでした。
その言葉をどう扱うかは、「その言葉に要約されたものの背景にどれだけの世界を感じ取ることができるか」という、受け手側の理解の準備次第です。
たとえば、「そこに虹がある」と気づいたとき、虹のできる仕組みについての知識があれば、太陽光とその虹との間にある雨粒や雨粒によって起きた光の屈折を想起することができます。
扉に「放射性危険物マーク」を見たとき、放射性物質やその扱い方についての知識があれば、ただ恐れるだけでなく、その扉の向こうにあるであろう物質が何なのか、それはどういう性質ものなのか、どのように保管されているかといったことを想起することができます。
「言葉によるラベリング」と「記号化」
https://forum.pc5bai.com/tips/longshot/9b392ebe-9461-452b-851b-c3db78781542/
いったん「プラスアルファの魔法」という言葉から離れた今となっては、この言葉をより広い視点から観察することができます。
今の自分には、当時の自分よりもより有効にこの言葉と関わり、その機能をより有効に活かすことができます。
要約のために使われた記号を見たとき、要約されてしまった存在の全体像をどこまで奥行き深く気づけるかは、その人の得てきた「地図」、すなわち気づくための情報と、「気づく力」次第です。
僕がこのメールマガジンの中で「地図」、「気づき」、「選択」、「手順」という話をくりかえしているのは、ひとつの事象からより多くのことに気づき、より自由に選択できるようになるならば、より自由に柔軟に世界と関われるようになるからです。
- 無意識に受け入れていることは何でしょうか。
もっとも、「無意識に受け入れている」のであれば、この問いへの答えは得られません。人は、「無意識に受け入れていたこと」にあとから気づくことができるだけです。
この「あとから」がいつになるかは、普段からの「気づき」次第です。
このメールマガジンがしていることは、「人は、こんなことにも気づくことができるよ」というご提案でもあります。
関連記事・関連コンテンツ
「地図」、「気づき」、「選択」、「手順」については、その考え方の基本を以下にまとめています。
記憶の中にある地図
https://forum.pc5bai.com/tips/longshot/a717e851-1189-488f-b289-b97c79c9f4d1/
「地図」と「気づき」
https://forum.pc5bai.com/tips/longshot/8d0b4c13-7b36-488d-82ed-f68f97610eaa/
「気づき」と「選択」
https://forum.pc5bai.com/tips/longshot/e3bad992-7ada-4789-9522-e5f519a79ed5/
「選択」と「手順」
https://forum.pc5bai.com/tips/longshot/44c7b7b3-95bf-4fb1-baed-34e1997b0da7/
「地図」、「気づき」、「選択」、「手順」については、その考え方の基本を以下にまとめています。
記憶の中にある地図
https://forum.pc5bai.com/tips/longshot/a717e851-1189-488f-b289-b97c79c9f4d1/
「地図」と「気づき」
https://forum.pc5bai.com/tips/longshot/8d0b4c13-7b36-488d-82ed-f68f97610eaa/
「気づき」と「選択」
https://forum.pc5bai.com/tips/longshot/e3bad992-7ada-4789-9522-e5f519a79ed5/
「選択」と「手順」
https://forum.pc5bai.com/tips/longshot/44c7b7b3-95bf-4fb1-baed-34e1997b0da7/
2024年12月02日 13:46
小川 慶一さん
2024年12月02日 12:09
AIユーザさん
2024年12月02日 12:09
jinoseさん
2024年12月02日 10:49
小川 慶一さん
2024年12月02日 10:36
AIユーザさん